流行もん。

なぜか流行ったもん。今見るとおかしいけどね。
そのうちルーズソックスってのもこんな風に思い出されるんだろうな。
あと厚底サンダル。ブーツ。
これも将来の「あーあったあった。」って言ってると思う。
別に正式な文献でないので年代はいい加減だ。
思い付いた物足してコメントは後で書いてく。
漫画、特撮、アニメとかは今もファンがいて見られるしいマイナーぽくて印象に残ってるの以外いれないことにする。
今は当然だけど当時は画期的だったってのもついでに入れよう。
売れなかったけど変なもんも入れてしまえ。
論点ぼけそうだったらはずすけどとりあえずね。
すげーはやったじゃん、ここにないけどってのあったらメールくれ。
僕が思い出せたらのせる。
ずっと変わらなく見えるけど、実は地味にたまに更新中だ。
-あ-

アメリカンヨーヨー1975年頃
コカコーラのプレゼントが大流行。
アメリカにヨーヨーがあったのかは謎だがその頃の日本人は今よりもずっとアメリカに弱かった。
その頃までヨーヨーったら箱根のおみやげとかの木のでかいやつしかなかった。
のんびり上下して何回連続で出来たとか以外の遊び考えられなかった。
それがなんかかっこいい硬質プラスチック。横に英語なんか書いちゃってるし。
なんと、犬の散歩や大車輪などの多彩なわざもできる。
先を争って買って歩きながらヨーヨーするのが流行った。
大車輪に脳天を直撃されてしまう事故なんか多発した。
黒いのとか貴重だったかな。

あんたあのこのなんなのさ
ダウンタウンブギウギバンドの『港のヨーコ』って歌がなぜか小中学生に大流行。
でも、歌が流行ったんでなくてなかのフレーズの『あんた、あの子のなんなのさ』ってところだけが流行った。 その頃ってなぜかテレビの真似っていうのが目の敵にされてて、テレビ局がPTAの攻撃にあって、彼らが歌う下にテロップで『真似しないでください』って入れるという事態までおきた。

アメフト1974年頃
その頃日本じゃアメリカンフットボールの試合も来るわけもなし、テレビで中継もやってなかったしFENなんか聞いても解るわけ無しっていうんで、なんにも試合なんかの情報ないのに流行った。
いろんなチームのヘルメットの書いた下敷きとかノートとか、ヘルメット型の鉛筆削りというのもみんな持っていた。
そういえばアメラグって単語も聞かなくなったなあ。

-い-
糸井重里

-う-
ウルトラマシン1970年頃
家庭用ピッチングマシン。
カーブやシュートなど変化球も投げられる。
家庭用だから玉はちゃんとしたのでなくてピンポン玉のでかいみたいだったと思う。
専用のバットもついてた。
玉軽いから室内用だろうけど、いくら玉が軽くても家の中で打ったらいろいろ被害でなかったのだろうか。
都会の家って今よりずっと狭かったし。
近所で持ってる子いなかったから詳しくはしらないけどね。

裏生地シャツ
布地の裏側にプリントがしてあって、表からは柄が透けて見えるシャツ。
アロハみたいが柄が多かった。
なぜか流行ってそれからなくなっちゃったけど、別にあったら今着ても悪くないなあ。

ウルトラスコープ1970年頃
潜望鏡みたいに伸びて塀の向こうの景色とかも見られる。
駄菓子屋なんかで売ってたスパイスコープと同じモノ。
だけどこれは電池の力で伸びるし鏡の角度の調整もできたし、レンズで拡大されて見やすかった。
なによりボタンを押すとガーッって伸びていくのがカッコ良かった。
コマーシャルでは、イルカショウを子供が人混みの後ろからウルトラスコープ使って無事見られるっていうような内容だったかな。
でも、持ってたけど使い道なかったんだよね。
今あったら結構価値出てるかも。

ウオークマン
-え-
エリマキトカゲ
オーストラリアに生息する襟巻きのようなものがついたトカゲ。
それを広げて威嚇するらしいけど、個人的にはそんな可愛くないと思う。
三菱の車のコマーシャルに出てたのが可愛いって事で大流行。
TVでいっぱい特集されたし、バラエティ番組では出演者がエリマキトカゲの扮装をして走り回ってた。
エリマキトカゲのモチーフのコインとかも輸入された。
肝心の車はそんなに売れなかったみたいだ。

-お-

丘サーファー1982年頃
サーフィンそのものでなくてサーファーがとても流行ったので、みんなファーラーのスラックスにTシャツというサーファーの格好をして街を歩いたし、塩で焼けるわけないのでオキシドールとかで脱色した長い髪で(今みたいに染髪料売ってなかったよね)、サーファーが吸うという煙草を吸って、その頃は珍しかったサーファーが飲むといわれるバドやクアーズやハイネケンのビールを飲んだ。
みんな多かれ少なかれそんなことしてたんだけど、極端にスタイルを気にするくせにサーフィンやっていない連中を丘サーファーと呼んだ。
車の屋根にボードつけて六本木とか行くともてたんだけど、コードで固定するの面倒だって言うんでネジで止めちゃってるのとかいた。
もちろんそいつらはサーフィンなんかしない。

おいしい生活
西武デパートのコマーシャル。矢野顕子の歌と映像がマッチしていままでにないオシャレ感で印象深かった。
ああいうのの走りってこのころなんだなあ。
西武って言えばいまよりずっとオシャレでカッコイイ感じがした。

おれたちひょうきん族
土曜の夜のバラエティ番組。
現在のバラエティ番組の基本となった番組。
そのころまでは決して画面には出てはいけなかったディレクターやカメラマンなどの作り手側もどんどん番組の中で露出していったし、舞台装置の裏やTV局の中も画面に出ていた。
出演者のNGを見て笑うというのもたぶんこの番組からだ。
今は何でもないことだけど、ものすごく画期的なことだったし僕には面白く感じた。
作っている側にとっては、ものすごい冒険だったと思う。
8時だよ全員集合の裏番組だったけど、結果的には全員集合の終了の理由の一つにもなったかもしれない。
同じようなお笑い系の番組で、8時だよ全員集合はそれまでの作り方のもっとも良く出来た形だったと思うし、同じような作り方をすれば決して視聴率で勝つのは無理だっただろう。
TV番組の作り方の流れを変えた偉大な番組だったと思う。

オールナイトフジ

土曜の夜の深夜番組。
女子大生ブームって言うのもこの番組で生まれた。
素人の女の子がいっぱい出てきて水着なんかにもなってみて、いろんなことに挑戦したりレポートしたりっていう、今の深夜枠のバラエティーの形もこの番組が最初。
今は素人の高校生どころか中学生なんかもテレビにでまくってるが、そのころは素人は特別に選ばれでもしない限りテレビに出演なんかしなかった。
それも女子大生。その頃のイメージではちょっと前の女子高生みたいな、まだ大人でないってイメージだったような気がする。
もともとこの時間帯にはテレビ番組なんかなかったんだけど、この成功で夜枠の番組が一斉に始まった。 六本木あたりでオールナイトフジに出してあげるっていう関係者のふりをしたやつに、みんなすぐだまされてた。


-か-

カラー竹馬
『たんたん竹馬カラー竹馬』ってコマーシャルがいまだに耳に思い出される。
竹馬なのにスチールのパイプで出来てて、 高さの調整も簡単にできるし、棒の上のとこに鈴が入ってて、歩くとちりちり鳴る。でも、ただの竹馬なんだけど、なぜかとっても流行った。
カラー竹馬の名前の由来は、スチールパイプの持ち手のところにカラーのビニール加工がしてあって、そこが5色くらいあったからだと思う。

カラーボールペン
今もあるけど上に色の数押すところが付いてて、それで色が変わるボールペン。
今はせいぜい3色くらいだけど、それが出てすぐのころどんどん色数が増えて、12色どころか24色のボールペンまで登場した。
当然どんどん太くなるので、鉛筆の持ち方というよりはもう握るって感じ。
筆記用語としてはほとんど使い物にならなかったのですぐなくなっちゃった。

仮面ライダー自転車
仮面ライダーのバイクのカウリングがついた子供用の自転車。
コマーシャルの中で仮面ライダーがその自転車に乗ってビルの屋上から屋上に飛んじゃったものだから大変。
ホントに飛んじゃって怪我したり死んだ子供が出た。
でも、なぜかその同じようなコマーシャルが続いてて、下に飛べませんって真面目に書いてあった。
でも字が読めるくらいのやつは飛ばないよな。
今なら即刻中止になるような事態が起きて、なぜコマーシャルが続けられたかは謎。

カフェバー1980年頃
喫茶店なのに夜もやってて軽食もできてビールとかも飲める。
内装はアメリカ西海岸風ってことでサーフィンとかを意識してて、コンクリート打ちっぱなしとかだとカッコ良かった。
ビールはカッコイイバドやクァーズ、食べ物はスパゲッティとかで、量が少ないのもオシャレに感じたし美味しくないのも許せた。
六本木のカフェバーっていえば流行最先端のスポット。
いまは別にどこが珍しいかと思うけどコンセプトも内装も新鮮だった。
内装アメリカでないけど、「イタリアントマト」も、カフェバーとして流行った。
かっこつけていく場所だった。

壁の穴1982年頃
スパゲティ専門店。前からあったらしいけど、このころ流行の先端のオシャレな店として大流行。行列しないと食べられなかった。
それまでみんなスパゲティといえばミートソースとナポリタンしか知らなかったので、タラコスパゲッティなんて意外な取り合わせなのにおいしくて、流行の店だからカッコイイ感じもした。


-き-
KEYWEST CLUB
表参道にあったカフェバーで、内装が真っ白なのが特徴。
というか内装白い以外あんまり特徴なかった気もする
モデルや芸能人も来てオシャレな場所としてしばらく注目された。

キーホルダー

-く-

クリームソーダ推薦:馬場

くびちょんぱ
鉛筆のオマケでついてたオモチャ。
ドリフターズのキャラの首が、本体を押すとぽんと飛ぶ。
なんか名前的にマズイきがするんだけど、そのころはテレビコマーシャルでも「くびちょんぱ」を連呼してた。 今持ってるとすごい高値がついてるらしい。

-け-
ゲイラカイト1975年頃
三角のスポーツカイトみたいな凧。
テレビでコマーシャルもやってて、「アメリカからやってきた」なんて言ってた。
それまでは四角いしっぽのついた普通の凧しかなくて、かっこいいのでみんな先を争ってゲイラカイトを買った。
真ん中の棒を外すとくるくるまけて棒状になるので携帯性もいい。
凧には目なんかが書いてある模様が多かったかな。
僕も黄色い無地のやつを買ってもらって公園であげた。
そういえばその頃、正月って言えば当たり前のように凧揚げに公園行ってた。
あまり大勢あげるのでいっぱい絡んでたけど、最近はすいてて寂しい。

-こ-
光線銃SP1970年頃
拳銃とターゲットがセットになってる。
拳銃には電池が入ってて、引き金を引くとほんのちょっと光る。
当たった場所によってターゲットが倒れるか点数が出るかした。
ほとんど光らないんだけど確かに光線銃だ。
射程距離はたぶん3mくらいだろうけど、持ってないからわからん。
でも、当時はテレビコマーシャルが格好良くて、ものすごく欲しかった。

広告代理店・ラジオテレビ局関係者

紅茶きのこ
黒いぶよぶよしたグロテスクなものがビンに入ってたけど、あれはいったいなんだったのだろう。
ガンが治ったとか健康にいいとか、テレビでも雑誌でもいっぱい特集されて、すごくはやっていろいろなうちで見かけた。でも、ウチにはなかったので、あれはいったい紅茶と関係あるのか、食べるものなのか、食べるとどんな味なのかぜんぜんわからなかった。そのうち急になくなっちゃったところをみると、ガンが治らないだけでなくどうやらあんまりうまいものではないらしい。

-さ-
サーティーワンアイスクリーム
アメリカからやってきた、それもそれまでなかったいろいろな種類があるアイスクリームのおかげで、、子供の食べ物だったアイスクリームがおしゃれなカッコイイ食べ物となった。
31種類あったからサーティーワンだったかな。
女子大生とかに受けて、ものすごい行列ができた。
ハーゲンダッツやホブソンズなんかもそのあと出てきたけど、その前まではカッコイイ大人は外でアイスなんか食べなかった。

マジックテープの財布

-し-
人生ゲーム
日本でのボードゲームの王様。
アメリカではきっとモノポリーなんだけど日本ではこれ。
まだ売ってるけど買うやつは懐かしさで買うんでないかな。
ルーレットで駒を進めながら人生を歩む。
簡単に言えば双六なんだけど、大学出ると出世早いし、最後はお金持ちになるか貧民用のなんだか収容所みたいなのに行っちゃうかなんだけど、でも早く上がった方が勝ちなんだよな。
あれ?勝ち負けどうだったかな。
駒が車なんだけど子供生みすぎて乗らなくなって横にして乗せてるやつとかいた。
どうでもいいけど成功してもつまらん人生ぽいぞ、今思うと。

シェーキーズ1983年頃
初めて宅配ピザが有名になったのもシェーキーズだけど、初めてピザがオシャレな食べ物ってことになったのも僕の記憶の中ではシェーキーズ。 ピザの何がおしゃれかわからんけど、そのころはカッコイイ流行の食べ物のひとつだった。
それまでみんなピザっていえば、朝食で食パンにスライスチーズやピザの素みたいのを乗せて電子レンジでチンするというイメージしかなくて、外で食うものだとも考えてなかった。
丸くてあんなに大きくてチーズたっぷりのピザってすごいと思った。

自転車(男の子用)1975年頃
今は滅びてしまったけど男の子用の自転車というべき種類のものがあって、男の子だったらみんなこれが欲しかった。
流れるように指示するウインカーやブレーキランプやスピードメーターもついてたし、カッコいい警笛も音と光で演出しちゃうし、ラジオや傾斜計までついてるのもあった。
ギアチェンジもまるで車のシフトノブ。
なんとリトラクタブルヘッドライトや、ディスクブレーキ採用ってすごいのもあった。
いいやつほどそういう電装系のでっかい塊が前と後ろについてた。
当然いいやつほどすごく重かったし、電池もいっぱい必要だった。
車だったらいい車は馬力もあるけど自転車はこぐので、いいやつほど大変だ。
そのあとより実用的な自転車に置き換わっていったのでもう滅びたけど、欲しくて雑誌の後ろの広告とかを眺めてた記憶は残ってる。

シーモンキー
成長しても体長1cmくらいの小さな水棲生物。
正体は良く知らないけどたぶんエビの仲間だ。
見た目はオキアミとかミジンコとかボウフラとかそんな感じ。
原因はわからないけど子供の間で大流行。
コップくらいの水で飼えるし安いのでお金がなくても家が狭くても簡単に飼えた。
飼育セットもいろんな雑誌の付録についたり売ったりしてたしね。
シーモンキーが主役の漫画ってのも見た記憶があるぞ。
コップで飼えて手間が掛からない反面、こぼしちゃうとかの悲劇も多かった。
お父さんが間違えて飲んじゃったって話とかも聞いたことがある。
いつのまにかブームは去って消えていったけど、まだ飼ってる人いたらすごい。
けど、餌とか売ってないと思う。

女子大生

親衛隊
アイドルにも今みたいに選択肢がなくて、全国の男の子達はみんなザ・ベストテンにいつも出てくるような十数人のアイドルたちのファンだった頃、そのアイドルなんかのファンクラブをこう呼んだ。
全国規模で親衛隊長以下きっちり組織構成が決まっていて、入会にも許可が必要だったりした。
そのアイドルの曲ごとに、はっぴやハチマキや掛け声を掛ける場所や応援の仕方や服装もきっちり決まっていて、コンサート前には公園で練習なんかもした。
-す-

水曜スペシャル
今は亡き川口浩率いる探検隊が毎週人類未到の秘境や洞窟や生物を探す番組。
今思えばあんなに頻繁に秘境とかいってておかしいんだけどね。
でも、当時はみんなテレビは真実が流れるものと思っていたので手に汗にぎって見てた。
嘉門が川口浩探検隊って歌で歌ってるけど、まるで投げつけるように毒蛇が飛んくるとか今見たら結構別の意味で楽しいかも。
木曜スペシャルと勘違いしてたんだけど、メールの投稿で水曜スペシャルだっていわれた。
そういえば水曜だったかも。

スーパーカー

スーパーボール

スケートボード


スピロデザイン

穴の空いた歯車を使って丸い幾何学模様を書く装置。
よく安っぽい定規についたり、駄菓子屋なんかで小さいの売ってりするけどそれの立派なの。
磁石で紙が押さえられたし歯車も何種類かついてた。
カラーのボールペンもついてて、いくつかの歯車で掛ける模様を重ねてみたりした。
模様が書けるだけなんで、書いても壁に貼るくらいしかなかったけど、なぜだかとっても流行った。
専用の紙もついてたけど、すぐなくなっちゃって広告の裏とかをその大きさに切ったりして使った。
そういえば、その頃コピー用紙とか売ってなかったんだよね。
近所の同年代の子たちとリーダー決めようって話になったとき、誰かが『スピロデザイン買った順番にしようぜ』って言うくらいみんな持ってた。
そんな提案した彼が最初に買ってたのみんな知ってるから、もちろんそんなことでリーダー決まらなかったけどね。

スライム
ごみ箱の形の容器に入ってる、ゲル状の緑や青のおもちゃ。
ねんどは形が作れるけどこれはつくれない。
冷たくてべちゃっとしてて、まさにスライム。
これが子供の間でものすごく流行った。
子供って気持ち悪い物好きだよね。
最後のほうでは、スライムカエル入りやミミズ入りって、ゴムのカエルやミミズが一緒に入ってるという物も登場した。
ずっと手でいじって遊んでいると汚れ拾っていろ黒くなってきて、細かいゴミとか入っちゃうと取れなくてそのうちほうりだされた。
ずっと置いておくと水分が飛んじゃってぼろぼろになった。

スタイリー
健康器具。
真ん中で折れ曲がるデッキチェアみたいなもの。
たくさん売れてテレビコマーシャルまでやってた。
コマーシャルで謎の外人が「私に、電話ください。」なんて言ったの覚えてる。
今でも作ってて愛用者が壊れたのを新調してるので、年間数十は出てるらしい。

というのを書いておいたら、スタイリーがどうしても必要なので、なにか購入できる情報があるなら教えて欲しいという電話がかかってきた。
なんでも腰が悪くて、かかりつけの医者にスタイリーを強く薦められたらしい。
半分冗談で作ったページなので詳しいことは解らんと言っても、頼りはこのページのみって感じで必死。って、なんで今頃スタイリー?
こんなに入手困難なものを薦める医者っていったい…。


-せ-

-そ-
ソニーホームビデオ1977年頃
初めて家庭用にビデオデッキが発売された。
値段は298000円でとってもでっかくて、もちろんベータ。 テープも万単位したので、すんごいお金持ちの家だけが買えた。 もちろん録画と再生だけで、3倍速も予約録画もなかった。
今とちがってビデオカセットは上から入れたから、ビデオの上に物は置けなかった。
テレビ台はあってもビデオが入るようになんかなってなかったから、みんなビデオはテレビの上に置いてた。

ソノシート

-た-

縦縞ワイシャツ
ワイシャツの柄に縦縞がなぜか大流行。
なぜかマクドナルドやコンビニの制服みたいな縦縞のシャツがオシャレでカッコイイってことになって、みんな縦縞のワイシャツを着てた。赤や青のストライプで、とくに縞の太さはカッコ良さに関係がなかったと思う。


ダイバーウオッチ
ダイバーウオッチをするのが流行した。
潜水経過時間を表示する回転ベゼルがついてるあのゴツイ時計を、真冬でも町中でもダイビングをしなくてもしてた。 セイコーの35000円で200M防水のが一番メジャー。
お金持ちは同じセイコーでも150000円だかの1200M防水のをしてた。
ビンボー用に回転ベゼルがついてて見た目が似てる、3500円くらいのもいっぱい登場した。
この辺は10M防水とか、ひどいのは防水じゃないのとかもあった。
10M防水って水泳もだめなのに、ダイビング用の回転ベゼルがついてオシャレ。
みんなダイビングはしなくても、逆転防止機能のついた回転ベゼルは事故が起こらないためだとか語ってた。
スーツやブレザーなどのフォーマルな格好にも、ダイバーウオッチをしてるとカッコ良いとされていた。

ダイバーウオッチプロテクタ
ダイバーウオッチのガラスを守るためのゴム製プロテクタ。
みんながダイバーウオッチをするようになると、今度はそれにゴムのプロテクタをつけるのがカッコ良いということになった。
なんか細いゴムみたいなもので、あんなものでガラスが守れるとも思えなかったけど、それより普通の生活でダイバーウオッチのガラスを守らなくてはいけない状況になることがないので、役に立つかはわからなかった。
あと、プロテクタほどでないけどダイバーウオッチにつけるコンパスも流行った。
こっちのほうは北枕防止くらいには役に立った。

竹の子族
原宿の竹の子ってブティックがあって、その店だか近辺だかに集まる人という意味で竹の子族とよばれた。
店の方はそれで繁栄したとかは無かったみたいだけど。
今はなくなっちゃった原宿のホコテンで、シルクみたいな材質の赤とか紫とかのガウンみたいな格好をして、全員で同じ踊りを踊る。
今時の若者はこんなだっていう話題の代表みたいに、やたらいろいろなメディアで取り上げられたりしてた。
今思えばあの踊りパラパラにそっくりなんだけど、なんか関係ないのかな。

竹の子族について詳しいページ発見。


-ち-
チェアリング


-つ-
ツバキハウス
-て-
デジタル腕時計

デッキシューズ
船の甲板を歩くための靴で、ソールが細かい筋の入った平らな柔らかいゴムなので、濡れた甲板でも滑らない。 ホントに船乗る人はどんどん濡れていたむので布のやつを履いてる。お金持ちのヨットの乗りだけはぬらしちゃうのに高い皮のやつを履く。
その皮のデッキシューズをなぜか町中で履くのがカッコイイということになって、みんながはいていた。
ダイバーウォッチと同じで、スーツやブレザーなどのフォーマルな格好にもあうことになってた。
定番はトップサイダーで、値段は29800円で、ちょっと貧乏だとプロケッズで、値段は9800円。
プロケッズの人は、「元トップサイダーの工場で作られているので同じ物だ、同じ品質なら安いほう選ぶね」と靴の話題のたびに言い訳して履くのが決まっていた。
それ以外のはブームに乗って2000円くらいからいっぱいあったけど、裏のゴムが硬かったり、ひどいのだと普通の運動靴の靴底だったりして、ホントに船にのって甲板歩くとたぶん滑る。
上の2つを履いていた人は、その時だけ団結してそれらを偽物って馬鹿にしていたのだけど、でも町中ではホントは裏なんかどうでもよかったりするんだよね。
あえて言えば雨の日のマンホールとかで滑りにくいかも。


-と-

東海道新幹線ゲーム
コマをパチンコ式にはじいて、ゴールまで誘導するゲームで、駄菓子屋さんの前なんかによくあった。
途中のポイントが新幹線の主要駅になってて、勢いが強すぎたりするとゲームオーバー なんだけど、入れた10円がそのままコマになってて、「お金で遊んじゃいけません」と教えてた親には許せないゲーム。最後までゴールするとガムが一枚出てくるんだけど、ほとんど失敗なんかしちゃうわけだし、10円でガム1枚だったら全部ゴールしてもぜんぜん得じゃないんだよね。でも、みんなで集まってやりまくってた。

DO IT YOUR SELF
表紙がクリアーになってるルーズリーフのファイル
買うと最初はDO IT YOUR SELFって書いた紙が入ってる。
自分で表紙は作りなさいってことで、 写真とか映画のチラシとか好きなモノを入れて自分だけの表紙を作れたんだけど、とても流行ってみんながノートをこれに買い換えた。
面倒なのかDO IT YOUR SELFのまま使ってる人も多かった。
まだ売ってるかもね。

どっこい大作
-な-
なんとなくクリスタル
田中康夫の小説で、映画にもなって大ヒットした。
都心のカッコイイマンション住んで、昼はカッコイイ女子大に通い、夜は六本木とかのカッコイイ街で遊ぶ、女子大生だかの日常を書いたもの。
周りの人たちもみんなカッコイイ職業や生活をしているという話。
この映画がもとで、女子大生や広告代理店とかが一気に流行ったのかも。
バブルの時期のカッコイイ遊びや生活の原型みたいなもので、当時はどっか夢みたいな一部の人の世界だった。
ずっと後のバブルの時代にやっとみんながこういうのを実現した。
みんながやっちゃえばなんでもないんだよね。

なめ猫
なめんなよ猫。略してなめ猫。
子猫に不良の格好をさせた写真のついた文房具やカードやポスター。
長ランやロングスカートのセーラー服着て、改造バイクに乗ったりしてる。
ものすごく流行ってみんななめ猫の免許証を生徒手帳に入れてたし、
あちこちにポスターも貼ってあった。
今じゃなめ猫どころかこういう格好の不良もいなくなった。

最近YAHOOオークションでなめねこ免許証を発見。1000円くらいだけどけっこうほしいかも。

-に-

-ぬ-

-ね-

-の-

-は-

走れ!K100
スクラップにされそうな機関車を見た物好きな兄さんが、機関車を改造してタイヤをつけて、機関車の生まれ故郷の夕張に日本を縦断して(なんだかスタート地点九州だった気がする)旅をするという話(だった?) そんなことしてどうするとか、船で運べばいいとかそういうのは考えちゃだめだよ。
毎回困難とか人情がらみとかの事件が起こって乗り越えて行くんだけど、基本的には根性物ぽい雰囲気があった気がする。
なんだか改造したおかげで、道路だけじゃなくて水上も走れちゃうんだけど、さらに機関車に感情らしきものもある設定だったように見えたのは気のせいじゃないよね。

バドワイザー(1980年頃)
今はどこにでも転がってるビールだけど、当時はかっこよくてオシャレなビールの代表だった。
飲んでるとアメリカ西海岸のサーファーの気分。
バドワイザーってかいた置物やTシャツやパブミラーなんかもカッコいいアイテムで、みんな部屋に飾ってた。

バンダナ
ハンカチの代わりにバンダナを持つのが流行った。
頭に巻くのでなく、あくまでハンカチの代わり。
ファーラーのズボンのポケットからちょっと覗かせてみたりするのがオシャレだった。

ハマトラ

ハリウッドライト
スタジオ用の照明のミニチュアみたいなライト。
オシャレな照明というかインテリアとして流行ってた。似たものではラジオのスタジオのON AIRのランプとか、アメリカの信号機とかのやつもあった。
あと、ネオン管のカリフォルニアって文字と椰子の木とか、ROUTE 66 とかも仲間かな。カッコイイ部屋の大事なアイテムだったけど、みんな今よりずっと高くてなかなか買えるものでなかった。


-ひ-
ビデオバー参照:カフェバー
カッコイイ店「カフェバー」に29インチくらいの「大きなテレビ」があってサーフィンのビデオとかながしてると、もっとカッコイイ店、「ビデオバー」と呼ばれた。
目立たない位置にある「カフェバー」や「ビデオバー」のほうが価値があって、西麻布の地下とかのそういう店を知ってるだけでモテた。


-ふ-

ファンシーケース
貧乏用のクロゼットで、 4畳半一間の隅には必ず置いてあった。
布でできた四角い縦長のケースで、 中に洋服を吊るして下の方には畳んだのを入れる。
安いやつなんかはビニールでできてて、クラシックカーだとかお花だとか、あまりセンスの無いすごい柄のやつが多かった。
赤い14インチのテレビとセット。

なんて書いてたら「AXマガジン編集部」からメールが来た。
クラシックカー柄のファンシーケースの情報が欲しいってメールだった。
いろんなもの探してる人いるんだね。


ぶらさがり健康機
だれか偉い人がぶら下がると健康になるってんで流行った。
ただのぶら下がれる鉄棒みたいなものなんだけど、いいやつは鏡とかがついてた。
すぐブームは去ったけどでかくて捨てるのもままならず、でも場所はそんなに取らないので今でも結構ハンガーかけとかになって生き残ってるかもしれない。

ファーラー1982年頃
サーファーが履くというので流行ったズボン。
ホップサックというコーヒー豆の袋みたいな生地のズボンで、実際に海に入ってみたらなるほどすぐ乾くんだけど、毛玉できちゃうしすぐ破れたりした。
後ろのポケットにあるFって文字が入った小さな黄色のタグが目印で、4800円だった。 アメ横なんかで安いのを見つけて買ったやつがFがTになってるのとかをつかまされたりしてた。

筆箱1973年頃
なんて呼び名か忘れたけどその頃の小中学生の筆箱がすごかった。
2つのダイヤルをあわさないとあかないのとか秘密の箱がついてるのとか。
女の子用はピンクで鏡までついてた。
どんどんでかくなって鉛筆の入るところはちょっとしかなかった。
しまいには『象が踏んでも壊れない』筆箱まで登場して、コマーシャルで象が出てきて筆箱踏んでた。
それ買ったやつの筆箱は例外なくみんなに踏まれて壊れなかったけど汚かった。
机の上からジャンプして踏まれたりしてた。


-へ-
ペナント
-ほ-
ボートハウス1983年頃
BORTHOUSEって書いたなんの変哲もないトレーナーやトートバッグ。
神奈川県の油坪にBORTHOUSEって名前のヨットがあって、それのオリジナルトレーナーなのかそれとも店の艇だったのか。
別にレース艇でも有名な艇でもなかった記憶がある。
小さな店の前に3時間待ちの長い行列とかができてた。

ホッピング推薦:まり
下にばねがついててびょんびょん跳ぶおもちゃ。
跳んでるとこはちょっと馬鹿みたいだ。
大流行したんだけど、誰かが体に悪いとかテレビで発言したらいっきになくなった。
確か道路工事のドリルと比べて背骨に悪いとかそんな乱暴な理由だったが真実はわからない。
昔ってすぐ大流行するけどそのパターンも多かった。
結構楽しかった。今あったらやってみたい。

メールで情報いただきました。
ホッピング、葛飾区金町のイトーヨーカドーに売ってましたよ。
地下鉄千代田線に乗って金町駅で降りるとすぐです。



-ま-

マリンルック
なぜか突然1年間だけ流行った。
シャツはみんな青の横縞で、スカートのすそにも帯が入ってたし、雨が降れば雨具はヘリーハンセンのオイルスキンで、足元はマリンブーツだった。
町中の雨にはヘビーすぎ。
次の年には誰もそんな格好で街を歩かなかった。

ママレンジ
おままごと用の小さなレンジなんだけど、なんと本当に小さなホットケーキとか焼けちゃうのだ。まわりに持っていた人がいなかったので熱源は何か謎。
PL法が出来た今、こんなもの絶対作れない玩具だ。
それ以前に旭玩具は潰れちゃったけどね。

みんきいひろかず
さんからの情報です
従兄弟(女の子)が持っていたのですが、普通の電熱器と同じニクロム線でした。 ただ、電源が電池だったかコンセントだったかは覚えていません(^^; 今残っていたらすごい値段で売れるらしいです。

ママ流し
ママレンジシリーズの第2段。
これはホントに水が出て洗い物が出来る。

丸金・丸ビ


-み-

ミーバー
粘土みたいなもの。
粘土よりずうっと伸びる。ていうかただのよく伸びる粘土?
宇宙からやってきた生物って設定で、テレビコマーシャルもやってて、けっこう流行った。

ミルクモーモー
ミルク飲み人形の牛版。
しっぽがポンプのレバーになってて口から水か何かを飲む。
それだけでなく、なんと乳絞りができるというなんだか画期的なんだけど労働臭い人形。
アイデアはすごいけど見た目がなんかリアルな牛で可愛くないのが致命的だったらしく、売れなくてすぐなくなっちゃった。

ミルクモーモーで遊んでたという書き込みもらいました。
面白かったそうです。
僕の知ってる範囲では持ってた人この人だけです。


-む-
夢想花
円広志のデビュー曲。歌詞の「とんでとんでとんでとんでとんで」って部分が小学生から大人まで大流行。
クイズ番組には曲中で「とんで」は何回言うでしょう?という質問がよく出されてた。
26回とかそれくらいの数だったと思う。

-め-

-も-
モーラー
釣り糸のついた蛇みたいなおもちゃ。
釣り糸は見えないので、うまく指に絡めると本当に生きているように見える。
こんなものでテレビコマーシャルまでやってた。
やさしそうなパパがモーラーを操り、それを見て喜ぶ子供。
もちろん外人だ。
大きいのは欲しかったけど高かったので、ガチャガチャで小さいのを買った。

-や-

野球盤推薦:馬場

-ゆ-
ゆうやけニャンニャン


-ら-

-り-
リリアン
いろいろな糸を絡めてきれいな紐を編むおもちゃ。
女の子の遊び。
今も縁日とか行くと売ってるかも。

-る-

-れ-
レインボーサンダル
分厚いビーチサンダルで切り口が虹色になってる。
履いてるとカッコ良く見えたのでとても流行った。
流行につれてどんどん分厚くなったところは、厚底サンダルに似てるけどさすがにあそこまでは厚くならなかった。

レッドシューズ

-ろ-
ローラースルーゴーゴー
今で言うスケーター(スケートボードにハンドルついたみたいなの)に、チェーンの力で足でこいで進む装置がついてるんだけど、なんか非常に効率悪くて足で地面蹴ったほうがぜんぜん早かった。
後ろに蹴るように進むんだけど、文章だとわからんな。
大流行して、隣の子も持ってて貸してもらったりした。
ブームの末期には「お兄さんにはローラースルーゴーゴーセブン」といって、ちょっと大きな子供向けにサイズの大きなものまでラインナップされた。
なぜセブンなのかは謎だが、 足でこいだときの効率の悪さは受け継がれてた。 知り合いの話では、「いまだ近所のどぶ川に沈んでいるのが見られて物悲しい」そうだ。
ロケット鉛筆


-わ-
ワンサ君
ちょっと反則でアニメ。 その頃流行だった孤児の白い犬が主人公のアニメなんだけど、なんだかミュージカル仕立てでかっこよかった。
それが災いしたのかすぐ終わっちゃって今は話題に上ることも少ない。
けっこう今見たらいいかも。
さかさまから読むとサンワなので、番組が終わった後もしばらく三和銀行のマスコットになってた。
銀行でおまけにソノシートくれてワンサ君が印刷してあるんだけど、レコードが回転するとサンワって読めるという素敵な物もあった。

私をスキーにつれてって
ホイチョイプロの映画作品。
この映画を境に日本人の若者はスキーをする人が普通でしないのが変わりものとなった。
冬のスポーツ店がスキー一色になったのはこの次の年くらいからだ。
それまでは、スキーはしないって言う人もいっぱいいたんだけどね。
この映画の影響は計り知れない。って、調査したわけでないし、タイミングが良かっただけかもしれないけどな。



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